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優しい先生

2019年03月01日

以前、「恐い先生」というタイトルでこのコラムを書いたら、ネット検索でトップになったことがありました。娘がまだ保育園に通っていた頃にピアノを習い出したのですが、なかなか馴染めなかったもので、じゃあお父さんも一緒に習うよということで、齢四十半ばにしてピアノ・レッスンを受け始めた時の話です。最初はベテランの先生で初心者のオッサン扱いも慣れていらしたようですが、程なくその先生から音大を出たての若い女の先生に代わったのです。

 この先生は娘との相性は悪くないのですが、どうも私との相性が今一つ良くないわけです。どうやら、生徒を上達させてあげたいということに非常に熱心なあまり、なおさら私の出来の悪さに絶望を感じるようで、それがかなり私に強く当たる言動となって表に出るのです。

先生:「練習する時間ちゃんと取れてます?」

私  :「はい、毎日出勤前に必ず30分。」

先生:「その割には…」

あるいは、ミスタッチを連発する私に対して、

先生:「一体、何を弾いてるんですか?ミ・ソ・シですよね、ミ・ソ・シ! リズムもヤバイですよね。何拍子ですか、それ?」

そして、まるでこの世の終わりに遭遇したかのような深いため息。

こんな話をすると、「なぜやめないの?」とよく聞かれますが、まあ、娘の手前もあるのと、それに一応この10年の間に、ピアノというのが私の生活の一部になってしまっているせいか、やめたいとは不思議に思いません。毎年2月末には「大人のピアノ発表会」というのがありまして、その度にこの恐い先生とスッタモンダしながら毎度の失態に懲りもせず出演を重ねてまいりました。

 最近では、2月の発表会に向けて夏には弾く曲を選ぶという慎重な取り組みを余儀なくされているのですが、昨夏に私が選んだのは、クイーンの『Another One Bites the Dust』。最近は、齢を感じさせないように最近の曲を選ぶようにしていたのですが、今年は一気にまた懐メロに戻りました。というのも、この曲の邦題が『地獄へ道づれ』というものだから。「先生、今回も一緒に地獄を見るよ」という私からのメッセージです。とは言っても、こんな古い曲知っている人少ないだろうなと思っていたところ、年の後半にかけてクイーンを題材にした映画が大ヒットしてこの曲も巷でヘビーローテーションされるようになり、期せずしてホットな選曲となってしまいました。

さて秋に入り、さあ、いよいよ本格的に地獄へ突入だ、と意気込んでいた矢先、先生から意外なお告げを受けました。「私妊娠しまして、来月から産休に入りますので、その間、新しい先生が代わりにいらっしゃいます。発表会はその先生とやるということになりますね。」…折角の渾身の選曲が軽くかわされ、少々気抜けした感がありました。が、それから新しい先生への引継ぎまでの数回のレッスンは、まさしく地獄そのものでした。おそらく私のような劣等生を他の先生に引き継ぐのが恥ずかしいのだろうと思われ、私への当たりは回を追うごとに強まっていきます。中でも何度も言われたのが、「今のこのヒドイ状態を何とかしないと、新しい先生に物凄く怒られることになっちゃう。」ということ。ホントかいな、とも思いましたが、もしそうなったら、今度こそ腹を切って死のうと思いました。

かくして、遂に新しい先生がやってきました。あれ、毎年発表会で受付やっている先生だ。私の独りよがりだとは思うのですが、毎回受付の時に、「はは、この人また今年も来た。」的にうっすら笑うような気がするあの先生です。「はい、じゃあ、まず弾いてみてください。」さんざん大変なことになると脅されていたので、ちょっと緊張しました。いつもよりミスも多く、リズムもバラバラ。でも、どれだけ滅茶苦茶でも先生はまったく口を挟んできません。とりあえず、何の曲かわからない状態で最後まで弾ききりました。そして、しばし2人の間に流れる沈黙。バサっと袈裟がけに切り捨てられるのを覚悟し居直る私。…と、先生が沈黙を破りました。「はい、本番ではこのままお弾きになりますか?それとも少しアレンジを入れますか?」

 え、どういうこと?一瞬とまどいましたが、図々しく「実はこの曲、ボーカルが2番から転調するので、僕も転調したいんです。」と恐る恐る言ってみました。すると先生、「はい、いくつあげますか?」私、「音と楽譜が頭で合わないのでいくつかはわからないんですけど、こんな感じじゃないかと(弾いてみるけどなんか変)。」この言い方が余程おかしかったようで、先生は何だかウケている様子。「原曲はこうなんです。」とYouTubeでクイーンが演奏している動画を見せると、「あらあら、この人凄い高い声でガンバっちゃって。」とスラスラと楽譜に落としてくれました。更に、「あ、ズドドドドってドラムで終わってるので、最後は繰り返そうかな。どうします?」と何やら楽しそう。何だ、全然恐くないじゃないか。気の抜けたような安心感に包まれると同時に、不思議なもので、この10年間厳しく躾けられてきた私には、逆にこれで大丈夫なのかという一抹の不安が走りました。

優しい先生は「緊張しますか?」などとも聞いてくれます。「毎年、緊張で鍵盤がゆがんで見えます。待っている間に他の人が弾いているのを聞くと自分のイメージが飛んでしまうので、いっそ1番がいいです。」と言ったら、本当に朝一のピアノの1番目になりました。その前にバイオリンが9名出るので、登壇自体は10番目なのですが、やはり前にピアノの人がいないのは良かった。ただ、朝一なので会場となるお店も、展示場もまだ開いていません。毎年、本番前にここで人目を気にしながら練習してから入っていたのですが、それができなかったのはやや不安が残ります。そして本番、超高級ピアノの前に座り音を出すと、何か、いつもより音が高い気がしました。後で先生に聞いてみないと定かではありませんが、もしかしたら左手を1オクターブ高いポジションで弾いていたのかもしれません。そのせいか、最後のパートでなぜか鍵盤が足りなくなり、ごまかして終わりました。それでも先生は、「よく音が出ていて、よかったですよ」と言ってくれました。

恐い先生と優しい先生のどちらが生徒を伸ばすのか?これはなかなか結論の出ない難しい問題です。ただ、私のようなマイ・ペースな人間はどちらでもあまり関係ないようです。厳しくされても優しくされても、結局私のやることは変わりません。恐いから殊更に無理をすることもないし、かと言ってやる気を出すこともありません。反対に優しくされたからと言ってやる気が出るわけでも、ダレるわけでもないのです。結局は自分がやれることをやりたいようにやるだけ。その結果、今年も本番はいつも通り、上出来とは程遠いものでした。

 

代表取締役 CEO  奥野 政樹

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