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ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男

2019年07月01日

表題の映画をWOWWOWで観ました。WOWWOWは間もなく始まるウィンブルドンテニスを独占中継するので、その呼び水として放映する意図は明らか。その戦略にまんまとはまるのはなんとなく癪です。またこれはいろんな国の合同制作のようで、こういう映画は往々にして英語ではない外国語である可能性が高く、字幕についていくことのできない私の視力ではそもそも意味がわからない恐れがある。デッキのデータ容量が逼迫している今、これを録画すべきか迷いましたが、この両名の名前に強く魅かれて視聴を決行しました。

 案の定、半分は英語ではなかったので何を言っているのかわかりません。以前「美女と野獣」を娘と観に行ったらなんとフランス語版で、2時間ぐっすり寝たことがありました。しかしこの映画は、言葉はわからなくても不思議と雰囲気は伝わってきます。話は1980年のウィンブルドンテニス決勝、ビヨン・ボルグとジョン・マッケンローが対戦するまでの流れを描いたもの。と言っても今の若い人達にはもうあまり馴染みのない名前なのかもしれません。

この時の決勝は今も語り継がれる名勝負で、ボルグが何回もマッチポイントを握るのですが、その度にマッケンローにギリギリのところで跳ね返され、タイブレークだなんだで遂にフルセット。死闘の挙句、遂にボルグが勝利したのでした。と、まるで見てきたようなことを言いますが、当時高校1年生だった私はバレーボール部で特段テニスに興味があったわけではなく、テニス部の連中が興奮してそんなことを言っていたのをパクってみました。

それにしてもこのマッケンローという選手、改めて見ると悔しいくらいに魅力的です。とにかくお行儀が悪く、審判にFワードを連発するわ、コートでお尻を出すわで、何かと物議をかもすことの多い選手です。けれどもこの映画を観ると、テニスについてはとてつもなく真面目なのがよくわかります。世の中にはよく、目の前の課題に立ち向かうのが怖いから奇行や暴言でごまかす人というのはいますが、この人の奇行や暴言はまさにその逆。テニスに勝つこと以外には一切気を遣わない、と言うより遣えない。効率化の極致なのです。こういう選手は、チームスポーツではえてして困った存在にもなりがちですが、個人競技ならまったく問題なし。そこには無駄なものを排除した究極の美が感じられます。

一方のボルグはと言えば、「氷の男」と評されている通り感情をまったく表に出さず、どんな窮地でも冷静に対応するタイプ。ただこの映画でわかったことは、実はボルグも子供の頃は感情をコントロールできない選手であったということ。それをコーチとともに意識的に修正して、冷静さを後天的に身に付けたということです。つまりテニスに勝つために人格を作り変えたわけです。これは、テニスとは精神的なものが大きく影響するスポーツであり、常に冷静でなければならないという「深み」に裏付けられたものです。つまり、ボルグ対マッケンローというのは、「深み」対「効率」の様相を呈しているように私には見えます。

 「深み」と「効率」、どちらが大切なのか。この時はボルグが勝ち、翌年のウィンブルドンテニスでは同カードの決勝でマッケンローが勝ちました。だから結果からのみではどちらが強かったのか何とも言えません。ただ確実に言えることは、マッケンローみたいな選手はいなくなったということ。行儀の悪い選手がいなくなった。今の時代、感情をコントロールするという「深み」が必要不可欠であるということが当然視されています。

この傾向は何もテニスの世界だけの話ではありません。他のスポーツでもそう。まあ、ボクシングあたりだとまだ効率重視で感情なんかコントロールしないタイプもいますが、スポーツに限らず、昔は奇人・変人であることがむしろ当たり前だった囲碁や将棋の棋士の世界ですら、今はやけにみんなお行儀が良い。

 そしてこの傾向はビジネスの世界にも広がっており、最近やたらとお行儀の良さが問われます。しかし、本当にそれだけが絶対にあるべき姿なのか。マッケンローのように感情むき出しで、目の前のポイントを取りに行く効率だって、もっと評価されるべきではないのか。この試合の後で2人は親友となり、マッケンローの結婚式でボルグがベストマンをつとめたそうです。炎と氷が2つ合わさって良いものが生まれるわけで、もっと炎も大事にしないといけないのではないか?そんなことを考えさせられた映画でした。

 

代表取締役 CEO  奥野 政樹

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