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哲学対話(本当にやってみた)

2019年08月01日

2ヶ月前に、このニュースレターで「哲学対話」についてご紹介しました。「哲学対話」とは、あるテーマについて数人で“なぜ”、“どうして”と問い合い、ひたすら語り合って考えを深めていくというものです。これを偏差値40のある都立高校で始めたら、継続的に有名大学の合格者が出だしたとの新聞記事を読んで、そんなにいいのなら当社でもやってみようかな、という内容でした。

その後、実際にこの「哲学対話」をやってみました。当社のデータセンターパートナーであるColt様から、パートナーイベントでクラウドをテーマに何かプレゼンをして欲しいとご依頼を受けたのがきっかけです。クラウドについてありきたりな話をするよりは、参加者のみなさまに楽しんでもらいたい、その一心からプレゼン内容を当社なりに考えた結果、2時間くらい社内で哲学対話をやって、その様子を凝縮したビデオを流してみようかということになったのです。お題は「クラウドはいつ終わるのか?」IoT、FinTech、AIなどの新しいテクノロジーのトレンドが、言葉だけ先走りして実態があまり伴わない状況の中、クラウドだけはしっかりと実世界に根を下ろしているわけですが、この状況もいつまで続くのかねぇ、という問題意識です。

実際にやってみると、これがなかなかに難しい。お互いに他人が言うことに対して“なぜ”、“どうして”と突っ込むことが意外にできないうえに、相手の言うことを否定してはいけないというのがルールなので議論にもなりません。お互いに自分の言いたいことを言いっぱなし、納得のいくところにだけ納得し合うということになってしまい、どうしても考えが深まっていかないのです。かれこれ一時間ほど経ったところで「どうも“哲学”している気がしない」という声が出てきたこともあり、いったん中断してしばし休憩をはさむことにしました。

 ところが、再開後も状況はそう変わりません。モデレーター役の社員が困り果ててしまったので、私が交代してモデレーターを務めることにしました。誰かが発言をするたびに“なぜですか?”を数回は繰り返す。そうすると多くの人は答えに困ってしまいます。少々意地悪っぽくもなり、どうやらモデレーターというのはかなり上からのパワーがないとできないということがわかりました。

さて、“なぜ?”“どうして?”と問われると哲学になるかというとこれがまたそうでもなく、どうにも簡単には考えは深まらないのです。けれども、人間が考えを深めるうえで障害となるものが二つあることがわかりました。一つは、曖昧な概念の当然視です。例えば、ある人は、商品の終わりというのは“世間”がそれを認知しなくなったときだと言います。しかし、“世間”とは世の中のどれくらいの人を言うのかと聞くと“80%くらい”だと言う。なぜ80%なのかと聞くと答えられず、今度は、ケース・バイ・ケースだと言います。更に、ではどういうケースでは何%なのか、と聞かれるともう行き詰まってしまいます。“世間では”、“一般的に”、“常識的に”…、我々はこういう言葉を、まるで世界共通の定義があるかのように当然のこととして使いがちですが、別にそこには何の根拠も共通性もなく、ただの個々人の価値感や感覚、つまり主観に過ぎない場合が多いのです。なのに人は、そういった主観の上にロジックを積み上げて自分は客観的だと信じ切ってしまうことが多い。実は元のところが主観なのですから、その上にいくらロジックを積み上げてもそれは主観に過ぎません。まずは“自分の当然”を疑うこと、これが哲学には必要になります。

そして、更にやっかいなのが固定観念です。例えば、商品の終わりというのはそれを提供する事業者がいなくなったときであるという固定観念を持っている人が、いくらそれとは違う可能性を示されても頭には入ってきません。「仮面ライダー・スナックはとっくに生産終了しています。しかし、人生の一時期をライダー・カード収集に魂を燃やして過ごした者にとって、ライダー・スナックは永遠に終わらないのではないか?」こうした問いかけはまったく響かないのです。これでは、哲学は進みません。

 今回の動画は、YouTubeで公開しています。「哲学対話 クラウド」で検索するとトップに表示されると思いますが、念のためリンクを下に書いておきます。是非、ご覧になってみてください。

https://youtu.be/h15eL7Lyoak

みなが哲学に苦労する中、「ゾンビは生きているのか」について一人の社員が曖昧概念の当然化も固定観念の束縛もなく、自由に哲学する姿が収められています。彼女がというわけではないですが、こういう考えることが得意なタイプは、必ずしも学校の勉強がよくできるとは限らないのではないかと思います。学校の勉強というのは与えられたものを吸収することが求められているのであり、考えることは求められていないからです。したがって、どうしても考えるタイプの人はそういった勉強には興味が持てない。そこでこの「哲学対話」を学校でやると何だ、自由に考えてもいいのかということがわかり、勉強が面白くなる。それで、急に勉強ができるようになるのではないでしょうか。

 仕事についても、殆どの人には効果がないかもしれないが、一部はこれで壁を突き破る人が出てくる気もします。「哲学対話」、みなさんも一度やられてみてはいかがでしょうか。

 

代表取締役 CEO  奥野 政樹

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