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ティーンエージャーと哲学する超スマート社会のサバイバル

2019年09月01日

先月ご紹介した当社の“哲学対話”挑戦が、想像以上に皆様のご歓心を集めているようで、YouTube動画の再生回数も確実に増えております。まだご覧になっていない方は是非一度覗いてみてください。

 YouTube:哲学対話:クラウドはいつ終わるのか?

 ということで、懲りずにまた別のテーマでやってみることにしました。事の始まりは、この秋に大阪でHISCO(ハイテクノロジー・ソフトウェア開発協働組合)という団体が主催するイベントで私がスピーチすることとなり、いただいたお題が「来るべき超スマート社会」について何か話して欲しいというもの。そう、こういう何を話していいのかわからない状況の時には“哲学対話”に限ります。

そんなことを考えていた矢先に、前から親しくさせていただいているご近所の会社の社長さんから、高専(高等専門学校)より受け入れているインターンを3人連れて行くので、何か説話でもして欲しいとのご依頼を受けました。私はお坊さんでも学者でもないので立派な説話はできませんから、代わりに“哲学対話”をやって秋のスピーチの題材にも使わせてもらおうという目論見から、標題のテーマが決まりました。

 実際には高専生3名に両社の社長と社員を交え、老若男女和洋取り揃えたなかなかのオールスターメンバーとなりました。最初に、“哲学対話”とは何か知っているかと高専生達に聞いたところ、なんと全員が学校でよくやっているとのこと。実は当社の“哲学対話”は我流なので、上記の動画を見てもらいながら、これでやり方が正しいのかどうかを恐る恐る確認したところ、まあ、こんなところでしょうとのこと、まずは一安心です。

さて、いよいよ対話開始。まず「超スマート社会」の定義とは何か、つまり、今のスマート社会がある一線を越えて「超」スマートな社会になるのはどこからか、について話し始めました。こんな風に問われると、大人は総じて考え込んでしまいます。ドローン、自動運転、FinTech、IoT、AI、ロボット…今メディアを賑わしているスマート社会を表象するキーワードは色々と思い浮かぶものの、それらが一体どの次元まで到達すれば、今の状況が革命的かつ根本的に変化し、スマート社会を超えたと言えるのか。そんなこと聞かれても即座には答えにくい。

 しかし、ティーンエージャーは一発で回答を出しました。それは、物理的な力を行使しなくても、精神の作用だけで必要なものやサービスが手に入るようになったときなのだそうです。具体的には、お腹がすいたと思うだけでお好みの料理が届けられる、そういうサービスが可能になったときです。

これは“哲学対話”ですから、それに対して、どうしてそこで線が引けるの?今だって念じるだけで物を動かすことができると主張している人はいるよね?物理的な力を行使しないということは何がそんなに凄いの?と質問攻めにあうことになります。これには流石に哲学慣れしているティーンエージャー達も大苦戦。話がグルグル回ってしまいます。しかしこれが“哲学対話”の面白いところ。自分の経験と知識だけで答えが出ないと落ち着かなくなってしまう大人達には、少々苦痛を感じるパートでもあります。

色々話しているうちに、おそらく精神の働きだけで外部に影響が与えられる仕組みというのは、人間の脳の仕組みがすべて解明され、脳の送る電気信号の意味を受信して解析し、それに従って動く機械が中心的な役割を果たすのかもしれないという流れになりました。そうなると殺したいと思うだけで人を殺せるようになる。すると確かに今とはまったく違った枠組みの規制や法律が必要になって、パラダイムシフトが起こるのかもしれない。しかし実は、つい200年くらい前までは呪いをかければ人を殺せると信じられており、呪い禁止という法律があったり、呪いをかけられないように名前を隠すというような防御方法もあったわけで、パラダイムシフトというよりただ昔に戻るだけのような気もします。

 それよりも、人間がそこまで精神を意図的にコントロールできるようになればもう肉体は必要なくなり、満足というものはバーチャルな世界の中で浮遊した精神が享受しているという方向に向かっていくのかもしれない。そうなれば、もう国も地球も宇宙もいらなくなり、精神は本当に不滅になるのかもしれない。モデレーターの私がこう発言すると、大人たちは何やら怖くなったようで場が暗くなってしまったので、話をもう少しマイルドな方向に戻しました。

もしドラえもん(ポケット付き)が誰にでも簡単に手に入るようになったらどうなるか?つまり、精神の話は暗くなるので、せめて物質的にはすべての問題が解決されるとしたらどうなるのか、ということです。単純な話、ドラえもんを得たのび太がまったく努力をしないのを見てもわかる通り、人間はもう働く必要はなくなります。そうすると、人間の努力や成果を貨幣的な価値の大小で評価するという今のシステムは、まったくのナンセンスになります。そうなったらどのような社会になるのか?

 これについて、我らが哲学グループは老いも若きもなぜか、「国境が無くなり戦争も無くなる」ということで衆目一致していました。モデレーターの私は相変わらず、「なぜ?」「どうして?」と質問を繰り出します。今だって、国というものは別に経済的理由だけで区切られているわけではないし、戦争だって経済的理由だけで起きるものではない。貨幣が無くなったって、例えば名画みたいに一つしかない物を複数の人間が欲しがるという問題は残る。それを貨幣を使わずにどのように解決するのか?

今回もこのあたりで1時間半が経過し、時間切れとなりました。更に詳しく様子をお知りになりたい方は、残念ながら今回は動画はありませんので、秋のHISCOイベントにどうかご来場ください。

 

代表取締役 CEO  奥野 政樹

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