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新型コロナウイルス騒動に思うこと

2020年04月01日


 私は、高校生になる頃には随分と身体が丈夫になりましたが、中学生くらいまでは学校を皆勤賞で通いきるという年はまずありませんでした。毎年決まって、冬になると高熱を出して学校を休んでいました。医者に行くと「風邪ですね」と言われて、処方された薬を飲みますがあまり効きません。39度を超えるような高熱が2、3日続き、熱に浮かされて何か周りの空間に押しつぶされそうな感覚に震えながら、悪寒に耐えることになります。時には一週間くらい学校を休んでしまうこともありました。

 今にしてわかりましたが、あれはただの風邪ではなかったわけです。明らかにインフルエンザ。そういう言葉自体は既に世の中にあったし、実際、当時は学校で予防注射もしてくれていたと思います。しかしインフルエンザかどうかを検査する方法はなかったか、少なくとも一般には行われておらず、かかってもわからなかったのではないか。またタミフルやリレンザといった抗ウイルス薬もなかったので、効きもしない風邪薬をだましだまし飲んでは、症状が治まるのを待つしかありませんでした。

 別に私だけが特別に身体が弱かったわけではなく、時には何人ものクラスメートが同じ「風邪」で学校を休むことになり、学級閉鎖などということもありました。おそらく、免疫力の落ちている老人や持病のある人は多数亡くなっていたのでしょう。しかしそういうことは大してニュースにもならなかったし、外出禁止令も出なければ、首都封鎖というSFのような話も、プロ野球の無観客試合などという無粋な話も一切出なかった。リモート・ワークなどはそもそも言葉として存在しておらず、むしろ多少熱があっても仕事には頑張って行くというのがむしろ常識でした。

 それがこの数十年ですっかり変わってしまいました。別に昔の方が正しいと言っているわけではありませんが、少なくとも言えるのは、昔はこの程度のことでは人々はパニックに陥らなかったということです。今はどうでしょう。この騒動が始まった頃には、「この病気では基本的には死なない」という、状況証拠から判断すると一番確からしいことを主張している人がいました。もちろん例外はありますが、それはインフルエンザも普通の風邪も同じです。エボラ出血熱やSARSあるいはMERSなどとは、命に与える危険度が本質的に違います。アメリカのトランプ大統領は「フェイク・ニュースだ」とまで言っていました。

 ところが、今やもうそういう発言をすることは許されません。“空気を読む国”である日本がそのように一方向に流れるのはわかりますが、アメリカやヨーロッパでも新型コロナ=致命傷という論調一色です。トランプ大統領でさえ、今は「医療戦争だ」などと言っています。

 この50年余りで、一体何が変わったのか。まず科学が進歩しました。端的な例として、冒頭の私のインフルエンザも今は検査で確定できるし、即効性のある特効薬もあります。安心できる良い社会になりました。しかし人間というのは、一旦安心を知ってしまうと少しの不安にも耐えられなくなる。インフルエンザは治し方がわかるのにこの新型コロナはわからない。この事実から、もう恐くて仕方がなくなってしまうのだと思います。それは致死率が著しく低いという事実では解消されない不安。致死率はゼロでなければならないのです。

 そして、やはりメディアの進化と言っていいのかわかりませんが、情報量の多さと拡散スピードの加速。これは明らかに50年前とは比べ物になりません。これによって正確な情報が手に入ればいいのですが、そうそうはっきりした情報は入ってこないわけです。この新型コロナとは何者なのか。予防するにはどうしたらいいのか、治すにはどうしたらいいのか。これらに対する明確な答えがなかなか見つけられない。そうなると、「マスクと手洗いが有効」などという50年前に聞いたら子供だましそのものの情報に、過剰なまでにすがりついてしまいます。そしてマスクが市場から消えることになる。

 更には、しっかりした情報が入らず安心できない不安を、他人のせいにすることによって紛らわせようという心理が働く。それが、国がもっと情報開示をすべきだとか、適切な対応を打つべきだ、果ては政府が何かを隠ぺいしているとかいう声になっていくわけですが、要は国もWHOもお医者さんも真相がよくわかっていないのだと私には感じられます。

 一言で言えば、この50年余りで人間はとても臆病になったのだと思います。臆病なあまり慎重になった。根拠もない気合で無茶をしなくなった。そういう意味では良いことなのかもしれません。しかし、単に不安に対処できなくなっただけで、どこまでのリスクをとれるのかを自分で判断できず、リスクをすべてなくしてほしいと他者にすがるだけということなのであれば、それは生命力の低下であり、人間という生き物の衰退に繋がっていくのではないかという危機感を私は感じます。

 

代表取締役 CEO 奥野 政樹

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