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変わりやすい日本

2020年10月01日

 当社にはいろいろな国出身の社員がいます。数え間違えていなければ現在は8か国。折角なので異文化交流を通じて人間性を深め合いましょうということで、研修の場などを通じて意識的にそれぞれの国の特徴や考え方を紹介し合っています。先日も日本語研修で、ある本を題材に「現状が必ずしもうまくいっていなくても、そこに希望がある限り幸福でいられる」という考え方をどう思うかということについて、アルゼンチン、アメリカ、中国、日本の出身者で議論をしました。この問いに対する答え自体には、国柄による大きな差異は見られませんでした。ただ、アメリカで教育を受けた者はこういう雲をつかむような哲学的な話題でもしっかり考えて自分の意見を表出する傾向が強いのに対し、他はやや、お腹が膨れない話はどちらでもいいやという関心の薄さが見て取れます。

 その後話は脱線し、各国の特色ある事象をそれぞれ披露し合い、お互いに驚き合うセッションとなりました。まずアルゼンチン。この国ではサッカーに興味がないということは許されません。当然のように皆がリオネル・メッシになりたいと思っている。高校体育の授業ではサッカーしかやりません。2つのチームが代わり番こに欲しい生徒を獲っていく。サッカーには興味がないと開き直っていれば、常に最後まで選択されずに売れ残るという屈辱を受けることになります。サッカーに興味がないなどということは、社会の仕組みとして許されないのだそうです。

 続いてアメリカ。高校生は皆どこの大学に進学するために何が必要かを考え、その条件を満たすことに一生懸命であり、高校というのは決して青春を謳歌するところではないとのこと。本当の青春は大学に進学して初めて訪れるそうです。

 そして中国。スポーツや芸術は無駄なことと見なされており、世界で一番になれる可能性のある者だけが行うことを許されている。それ以外の者はひたすら朝から晩まで勉強することを強制されるのだそうです。

 皆、他国の事情に改めて衝撃を受け、羨むやら、慰めるやら、複雑な感情が沸き起こってきたようですが、全員共通しているのは、そういう自国から何らかの理由で離れて、今は異国である日本に暮らし、そこで働いているということ。この国にひとしきり興味があり、私が話す日本論を興味深げに聞いてくれます。

 さて日本はどうなのかと言えば、最近はアルゼンチンのように子供や若者が揃ってスポーツヒーローに憧れて夢を見るという現象はもはやありません。学歴主義もすっかり薄れてしまって、アメリカのように高校生が少しでも良い大学に入るために青春を犠牲にするという感じもなくなっています。ましてや中国のような猛烈主義は存在しません。

 しかし、日本は昔からそうだったのかというとそんなことはないのです。私が子供の頃などは日本でも皆、長嶋や王のようになることに憧れていたし、少しでも良い大学に入ることが幸福につながると高校時代は勉強に精を出し、一方で大学はその反動で社会に出る前の休息の場、レジャーランドと化していました。また、中国のように勉強一辺倒の猛烈主義ではないけれど、反対にやたらと文武両道なるバランス主義が横行していたように思います。

 そう、この40年余りで日本は大きく変わったのです。この“日本は変わった”という事実に当社の社員たちは大いに驚くわけです。なぜならば、どの国もそんなに簡単に変わったりはしないからです。アルゼンチンでサッカーの人気がなくなることが考えられるか聞いてみましたが、そんなことはあり得ないそうです。一方日本では、かつては国民的スポーツであった野球は今や一部のマニアの間のものとなっています。野球と言えば、昔は9回裏に10点差でも「まだ、わかりません!」と実況アナウンサーは叫び、打った選手は何としても塁に出ようと一塁ベースにヘッドスライディングをする、そんな気魄あふれるプレーが美しいとされていましたが、今やそういう精神世界の価値観を理解できる人は少数です。

 日本という国は、歴史上も何度も外的要因の激変を変わり身の早さで乗り切り、成長を続けてきた国です。けれども、そのことに我々自身はなかなか気が付きません。自分達の中では、むしろ日本人というのは保守的で頑固だと考える傾向が強いわけです。しかし、外の視点で見てみるとまったく違うということに改めて気付かされます。これも当社のダイバーシティーに富む環境の恩恵と言えるでしょう。いろいろな文化が身近にあるというのは、なかなかに楽しいものです。

 

代表取締役 CEO 奥野 政樹

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