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コンセンサス・ゲーム

2020年11月01日



 社内の日本語研修で、“コンセンサス・ゲーム”というのをやってみました。まず、少し長いですが以下を読んでみてください。大澤邦雄氏の『青い瞳』という著作の概要を当社社員が記憶に基づいて記述したものです。



青い瞳(概要)

ある国の人里離れた山深い場所に、美しい湖があった。神秘的な光をたたえ吸い込まれるような深い色合いは見る人々を魅了し、その湖は“青い瞳”と呼ばれていた。

湖のほとりには一軒の山小屋があり、一人の老人と幼い少女が暮らしていた。二人は湖で魚を釣り、小さな畑で野菜を育てて自給自足の生活をしていた。時折は老人が山の木を彫って作った人形を町へ売りに行き、わずかばかりの現金収入を得ていた。

ある日、一人の若者がこの湖畔にやってきた。若者は大都会で働く銀行家で、仕事に追われる日常を離れ、大自然の中でのんびりと休暇を過ごすために山へ来たのだった。

老人はたった一人でこの山奥まで来た若者を温かく迎え、素朴ながら心尽くしの手料理でもてなした。釣りの仕方を教え、夜は共に人形を彫り、酒を酌み交わしながら語り合った。

若者は自然と一体化したような老人の生き方や誠実な人柄に触れるほど、疲れ切っていた自分の心が澄んでいくのを感じた。予定していた休暇が終わっても「あと1週間だけ」、「もう1ヶ月」と滞在を延ばすうち、遂には自分もこの大自然の中で暮らしたいと思うようになった。

 銀行を辞める決心をした若者に対し、同僚は必死に引き留めようとした。「君の気持ちはよくわかる。これまで君がどれだけ頑張って働いてきたか私は知っている。そうやって苦労してやっと築いた地位を、一時の憧れだけで手放すなんて馬鹿げている。」
しかし若者の決意は変わることは無かった。

若者は老人と少女と3人で山小屋で暮らし始めた。老人は山で生きていくための知恵を惜しみなく若者に伝え、幼い少女は「おにいちゃん」と呼んで若者に懐いた。両親を早くに亡くして孤独だった若者は、「僕を本当の家族だと思って欲しい。」と二人に言い、毎日を幸せに過ごした。

数年が過ぎ、ある時若者は老人に代わって木彫りの人形を売りに町へ出かけることになった。久しぶりに触れた町の賑わいや見慣れぬ流行の服に身を包んで行き交う人々の姿に、最初こそ懐かしさを味わっていたが、次第にそれは焦りに変わっていった。「僕は一体このままでいいのか?」

もやもやした気持ちで過ごす若者のもとに、折しも元の同僚から便りがあった。「もう一度、銀行で働かないか?私には君の力が必要なんだ。」
若者の心は激しく揺れ動いた。

若者は悩んだ末、意を決して老人に自分の気持ちを正直に打ち明けた。これまで世話になったことは感謝してもしきれない。この恩は生涯決して忘れることはないと。
老人は何も言わず、人形を彫り続けるのだった。

山小屋を去る日、荷物をまとめた若者のもとに美しく成長した少女が駆け寄って言った。
「おにいちゃん、行かないで。ずっとここで私たちと一緒に暮らしましょう。」
その時、少女の青い瞳がキラリと光った。

(完)



 さてゲームの内容は、4人の登場人物(老人、若者、同僚、少女)についてグループで話し合い、「いい人」の順番を決めるというものです。当社の社員はインターナショナルですから、この日も国籍の異なる社員が集まりました。米国3、米国/日本デュアル1、日本2、中国1、インドネシア1、ミャンマー1の計9名。話し合いの時間は30分ほど。この状況下で結果を出すにはどうしても強力なリーダーシップが必要になるし、このメンバーの中では私がリーダーになる以外にはありません。

 まず議論が発散しないように「いい人」の定義を決める。これも今回は話し合っている暇はないので「自分のことより周囲のことを考えている度合いが高い人がいい人、だろ?」という私の基準を押し付けます。この「だろ?」がポイントで、この点について議論をする気などまるで無いのだけれど、一応意見は求めたという体裁を整えます。

 とは言っても実際には結論を押し付けられたという不満は残るので、ここでこの話からは大きく離れた論点へと議論を転換することでこの不満を希薄化させる。議論をリードする者の基本定石ですね。「この少女は果たして人間なのか?」どうも存在自体がミステリアスだし、最後に瞳が青く光るところなど、昔あったB級ホラー映画『光る眼』を思い起こさせます。こういう荒唐無稽な話に対しては、喜んで乗ってくるオカルト派と馬鹿らしいと冷めている合理派がくっきりと分かれます。オカルト派は大喜びで湖の妖精だの宇宙人だのと盛り上がっていますが、合理派はまったくの無関心。そこで恨みっこなしの多数決です。5対4の僅差で、この少女は人間ではないという結論になりました。これで少女の最下位は確定です。

 さて、あとは思い出したように残りの3人を「自分のことより周囲のことを考えている度合い」に応じてランク付けします。まあ、色々な意見も出るのですが、私のリーダーシップでかなり強引に突き進めて、“老人、同僚、若者”の順でまとまりました、と言うかまとめました。しかしその時、一人のアメリカ人社員が「老人がいい人というのはおかしい。この人は特にいいことは何もしていない。」と異議を唱えました。と言うことで、残念ながらコンセンサス形成は失敗となり、みな口々に「全員が同じ意見になるのは難しいですね」と言います。それに対して「日本人はこれが30人でもコンセンサスを作れるんだよね。ただ30分では無理。もっと時間はかかるけど。」と答える私。「誰にも不満を持たせずにできるのですか?」の質問。「そうだよ。」と私。みな怪訝な顔です。

 では、日本式コンセンサス形成法とはどのようなものか。まず最初のルールは多数決の禁止です。多数決で決めたのでは自分の意見が取り入れられなかった者は必ず不満を持ち、コンセンサスは形成されません。そうではなく、初めに各人に自由に意見を言わせます。自由ですから、自分の意見にこだわってもいいし、他人の意見を批判してもいいし、態度を明らかにせず評論家を気取っていてもよい。これを“ガス抜き”といいます。その後、適切な調整役が各人の間を回り意見の違いを埋めていきます。「少女が人間ではないと認めてくれれば老人を上位にしてもいいとあの人は言っていますよ。」というようなやり取りが繰り返されるわけです。これを“根回し”といいます。そうこうするうちに、みんなの間にある一定の順位になるらしいという共通の感覚が生まれる。これを“空気”といいます。空気ができたらあとは最後の会議を開くだけ。これがいわゆる“シャンシャンで終わる”例です。

 このような説明をしても、みなきょとんとしています。日本のこの“ガス抜き~根回し~空気”によるコンセンサス形成システムは、確かに不満は生みません。しかし問題は、必ずしも合理的な結論を生み出すわけではないということです。これを聞くと、ますます理解しがたい様子でした。

 そうならばということで、今度はこの“コンセンサス・ゲーム”を全社的にやってみようではないかと思います。しっかり時間をとって“ガス抜き~根回し~空気~シャンシャン”の順番で。その結果を踏まえて、この日本のシステムがいいのか悪いのか、また議論しようということになりました。大変に楽しみです。

 

代表取締役 CEO 奥野 政樹

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