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分断と融合

2020年12月01日


 米国の大統領選挙がようやく終了しました。高校生の娘が英語のディベート部というのに入っていてよくオンラインで練習しているもので、トランプとバイデンのディベートをよく参考にしなさいとアドバイスしていたのですが、どうも、あまりいい教材にはならないようでした。親族まで含めた誹謗中傷、人格否定、相手の発言への途中割り込みの連続で、両名とも日本の高校生の試合では間違いなくレッドカードで退場とのこと。そうは言っても社会に出ればこれが現実という側面も事実としてあるのだから、子供が学生時代にキレイごとばかりに染まってしまうのを、親としては何としても防がなければと思うところであります。

 さて、大統領選挙では「分断か融合か」ということが大きなテーマになっていましたが、どうも議論がズレているような気がしました。今、確かに世界中で持つ者と持たざる者の分断が進んでおり、米国ではそれが特に顕著であるということ自体は確かかもしれませんが、それは別にトランプ大統領のせいではないと思うのです。持つ者と持たない者を分けているのは何か。米国はよく実力社会の国などと言われ、持つ者は「実力」に優れ、ベンチャー企業を起こし大成功した人などというイメージで見られがちですが、実際にはそのような「実力」を持つ者は極めて少数であり、そんな特殊な人間がいくら大金持ちになろうが不公平感も生まれないし、分断など起きないでしょう。

 米国で本当に持つ者と持たざる者を分けているものは何か?それは学歴です。米国では弁護士や会計士といった専門職や企業の幹部従業員の報酬がとても高い。感覚的には、平均して日本におけるそれの2~4倍はあるのではないかと思われます。では、そのような恵まれたポジションに就けるかどうかはどのように決まるのかと言えば、それはまずどういう大学をどういう成績で出ているかということです。それが無ければチャンスは与えられません。しかしそのような大学の学費がまた、日本の2~4倍する。つまり持つ者の子女でなければ、基本的に大学へ行けないのです。だから持つ者と持たざる者の身分は固定化し、その差は広がっていきます。分断は実力による分断ではなく学歴による分断です。バイデンというのは弁護士で“持つ者グループ”に所属する人であり、そのグループから強い指示を受けている人です。その人がいくら融合を唱えても、分断の根源である学歴問題の解消には進むわけがないと私は思います。

 学歴による分断、これは米国だけの問題ではなく世界共通の現象です。中国や韓国ではそれは更に過激な形で出ているし、日本はと言えば、まあ相変わらず日本らしく穏やかではあるものの、基本的な構図は同じです。これは何も驚くことではありません。そもそも人類というのは、分断、革命、腐敗、分断というサイクルをずっと繰り返しているのです。

 そもそも実力主義とは何か。それは、集団の発展のために必要な資質をどの程度持っているかで、その集団内のランク付けを行う社会です。ではその資質とは何か?歴史上それは大体3つあります。まず暴力、そして組織運営力、あとはお金を生み出す力、いわゆる商力。この3つが人間の集団、つまり組織や社会を発展させていくために必要な力であるということです。この資質の強さに純粋に依拠して人間をランク付けする社会、これが実力社会です。暴力だけに依拠する社会は、戦国時代という実力社会です。革命直後には組織運営力に依拠する実力社会が生まれる。日本で言えば明治維新。また、世の中が安定してくると商力に依拠した実力社会が生まれます。日本で言えば戦後の高度成長期ですね。

 ただ、この実力社会というのは疲れるんですね。何せ実力がすべてですから、上にいる者もいつ自分より実力のある者に寝首を掻かれるかわからない。誰も落ち着いて暮らせないのです。だから実力社会というのは長続きしない。そうするとどういうことが起きるか。人間は実力とはまったく無関係なもの、つまり集団の発展に何も貢献しないどうでもいい資質によって、集団内のランク付けを始めるようになります。そういうどうでもいい資質で古くから使われているのが血筋、つまり家柄。これに依拠した社会を貴族社会と言います。日本の江戸時代も表向きは暴力に依拠した軍事政権ですが、その実すべてが家柄で決まる貴族社会ですね。

 そして、新たに人類が開発したどうでもいい資質、それが学歴です。学歴というのは、つまるところペーパーテストで点数がどれくらい取れるかの指標です。こんな力、集団の発展には殆ど貢献しません。まあ、点数が取れる人は総じて理解力や事務力が高い傾向にはありますが、例外も多いし、またこういう力はいくらでも代替えが効きます。この代替えが効くというのがまたポイントで、勉強というものは、努力さえすれば才能の有無にかかわらず誰でもある程度はどうにかなるものなのです。だからこれで人間をランク付けしても家柄でランク付けするよりは遙かに納得感がある、不公平感が生まれにくいのです。

 現代は、世界中がいわば学歴貴族社会です。そして貴族社会は、上位ランクにいる者とそうでない者の待遇の差が拡大することにより腐敗します。そりゃそうです。集団の発展に何も貢献していない者がいい思いをして、下の者はいくら頑張っても浮かばれないのですから、不公平感が拡大するのです。いくら学歴がそこまで考慮された優れた指標だとしても、やっぱり限界があります。

 学歴貴族社会は今、上にいる者と下にいる者の待遇差が拡大し、不公平感が頂点に達しています。そうすれば、歴史的に見て次に起きるのは革命による実力社会への回帰です。問題は、これから起こる革命におけるランク付けの指標は、相変わらず暴力、組織運営力、商力のどれか、あるいはその複合系なのか、ということです。私は違うような気がします。とは言ってもそれが何なのかはわかりません。ただ何となく、人を楽しませる力、人間的魅力みたいなものが鍵になっていくのではないかなあと感じています。

 

代表取締役 CEO 奥野 政樹

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