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天才

2022年09月01日

 少し前に、大阪の藤田玲央少年が9月1日付けで囲碁の関西棋院所属プロ初段に世界最年少の9歳で昇段するというニュースが流れていました。つくづく天才というのはいるものなんだなと思いました。私が子供の頃はよく天才と秀才の違いというよくわからない議論がされていたものです。秀才というのは努力の人であるが、天才というのは生まれながらに人並外れたとてつもない優れた才能を持っているのだとか。暗に天才の方が凄いのだというロジックでしたが、まあ、そうは言っても、一流というのは才能だけでなれるのではありません。必ず才能に加えて人並外れた努力も伴うものです。しかし、4歳で囲碁を始めて小学1年生の時にはしばしばプロにも勝つようになったと聞くと、やはりこれは、とてつもない才能であると言わざるを得ないでしょう。なんでも、もともとはオセロ・ゲームに異常なほどののめりこみを見せるので父親が一生懸命にオセロ教室を探したが見つからなかったので、白黒パンダが似ているという殆どこじつけのような理由で囲碁教室に通い始めたとか。息子の希望を叶えるために大して将来の糧につながるとも思えないオセロ・ゲームの教室を必死で探したこのお父さんも父親の鏡で、才能を開かせるには周囲のサポートも大事ですね。

 しかし、私はいつもこうした天才の話を聞くたびに、世の中にはまったく注目されないとてつもない才能を持っている人もたくさんいるんだろうなと思い、なぜか昔テレビで観た、ハンバーガーをやたらとたくさん早く食べることで世界チャンピオンだった人のことを思い出します。

 そういえば9歳と言えば、確か、幕末に長州藩で松下村塾を営んでいた吉田松陰も9歳で藩主の儒学の師範をしていたそうで、だいたい、天才というのは10歳を待たずして超一流に達するようです。ただし、吉田松陰という人は確かに儒学を理解するという意味では天才だったかもしれませんが、儒学自体はその後、社会における重要性は大きく薄れるわけで、この人も実は、あまり役に立たないことの天才の一人だったのかもしれません。しかし、松下村塾からはその後の日本を牽引する逸材が多数輩出されたわけであり、教育者としての吉田松陰は確かに一流だったと言えましょう。彼は教える天才ではなく、人をやる気にさせる天才だった。そして、その源は実はテクニックや理屈ではなく、黒船に乗り込んでアメリカに行こうとするような狂気と論議を涙しながら講義するような、伝えたいという情熱だったのではないかと思います。そして更に面白いのは、実は明治に入り一番大きな仕事をしたのは、松下村塾ではビリであり、松陰先生を「困ったものだ」と呆れさせ、塾頭格の高杉晋作のオヒキとして意味も分からずイギリス公使館を焼き討ちしたりした、およそ天才とは程遠い伊藤博文だったということです。ただこの人も、イギリスに留学して誰も教えてくれないのに毎日辞書と首っ引きでタイム紙を読むうちに、6ヶ月で英語がペラペラになったというのですから語学の才能はあったのかもしれません。囲碁の藤田少年は今後才能をそのまま活かして活躍していくのでしょうが、松陰や博文よろしく、人間というのは意外と自分の才能とはちょっと違うところで活躍するのがむしろ普通なのかもしれないですね。

 そう言えば、9歳と言えば私も、通っていた公立の小学校では勉強がよくできて、「天才」なんて言われることもままありました。それが、自分の庭を出てそういう子達が集まる塾に行くと、まあ、自分の凡人ぶりを痛感させられます。自分が手も足も出ない難しい問題を軽々と解く本物の勉強の天才というのがいるわけですね。こういうのを目の当たりにしてしまうと、もう、凡人のこちらとしては一気にやる気をなくしてしまいます。日本では飛び級もないので、その後こういう天才たちの動向というのは、知り合いでもなんでもなくても自然と耳に入ってくるんですね。どこの大学に行って、そこでも一番で、何になったみたいな。まあ、それは絵にかいたようなエリート街道です。でも、この歳になると、そういう天才たちの動向ってわからないんですよね。少なくと も、メディアで名前が取り上げられるような立場にはないのではないかと思われます。

 結局、勉強というのもあまり世の中の役に立たないことの一つなのかもしれません。まあ、何はともあれ、凡人でいいや。そういう結論に達した藤田玲央初段誕生のニュースでした。頑張れ、藤田先生。

 

代表取締役 CEO 奥野 政樹

 

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