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ビジョンと一貫性の虚構

2023年04月01日

世の中に功を成し名声を轟かせた人間は早くから明確なビジョンを持ち、それを推し進めることについてブレることなき一貫性を持っていたなどとよく言いますが、私は、そんなのはどうも大噓のような気がしてなりません。偉人の生涯を利用して金儲けしようとする人達がそういう伝記を書いたり、またそういうセミナーを開いたりするから、そのような勘違いが世の中に生まれるのであって、実際には偉人が偉人になったのはたまたま、という偶然の要素が極めて強いのではないかと私は思います。

日本の戦国の雄と言えば、言わずと知れた織田信長、豊臣秀吉、徳川家康です。この三人も戦国で荒れ果てた日本全土を統一する、つまり天下取りのビジョンを持ちそれを鋼鉄の如き固い意思と実行力で推し進めてきたから、それがその後300年近い天下泰平に繋がったと言われてきました。しかし、どうも近年の研究によると全然違うのだそうです。

まず信長ですが、”天下布武”という壮大なビジョンの下、室町幕府第15代将軍足利義昭を適当に利用した後使い捨てたと言われてきましたが、まったくそうではなかったのだそうです。元々、”天下布武”の天下というのは当時は日本全国ではなく近畿地方一帯を指したのだそうで、布武も文字通り武士の長である将軍による治政を指す言葉であったとか。つまり信長が目指したのは、あくまでも権威の失墜していた室町幕府の再興による畿内安寧の実現だったということです。それが、実際やってみると将軍義昭の出来があまりにも悪かったため、結局自分が先頭に立ってあちらこちらと闘うことになってしまった。つまり成り行きで”天下布武”は”天下統一”へと変貌していったということです。

そして信長が本能寺の変で不慮の死を遂げた後、その遺志を引き継いで、と言うか織田政権を簒奪して天下統一を成し遂げたとされてきたのが秀吉。本能寺の変の時は中国攻めの真っ最中。そこに飛び込んできた信長の訃報に転げ回りながら号泣していたところを、腹心の黒田官兵衛に「殿、これはチャンスですぞ」と諭され、にわかに天下取りのビジョンを持つや後は丁々発止の大活躍。奇跡の中国大返しから、清須会議における三法師擁立の奇襲作戦、さらには強引な信長葬儀の挙行から最後は賤ケ岳の戦いで忠臣柴田勝家を追い込んで織田政権簒奪に成功。ついでに、狙っていたお市の方には死なれてしまったが、まあ、次善の策としてその娘の茶々もゲット。と、このように語られてきたわけですが、これも相当事実と違うようです。

実は清須会議の時点で、信長の孫の三法師を織田家の跡取りとすることは信長の遺志として既に決まっていたのだそうで、会議のアジェンダは幼い三法師の後見人を信長の次男信雄にするか三男信孝にするかであったとのこと。結局、古参重臣たちの間で意見が割れて結論が出ず、どちらでもなく、後見は重臣たちの合議によってなされることとなったそうです。つまりこの時点で、結局一番力を持っていたのは重臣の中で最長老の柴田勝家であり、秀吉は相変わらず最下位だった模様。なおこの際、織田家の本城である安土城が本能寺の変で壊れてしまっていたので、当面三法師は信雄が預かるようになったのですが、これを幸いと信雄はまるで自分が天下人であるかのような傍若無人な振る舞いを始めた。それを見兼ねた秀吉は重臣筆頭の柴田勝家に三法師を早く安土城に戻したほうがよいと進言したが、元々成り上がり者の秀吉を快く思っていなかった勝家はこの提案を一蹴。しかし、他の重臣たちは総じて理がある秀吉寄りだったようで、このあたりから徐々に勝家の孤立が始まったようなのです。つまり、この時点でも秀吉は織田政権を簒奪しようと考えているどころか、極めて真摯に織田政権を守ろうとしていたのです。なお、信長の葬儀の挙行についても重臣がみな面倒がってやろうとしないので、仕方なく順位最下位で律義者の秀吉が取り仕切ったところこれが大受けで、結果的に秀吉の名声を高めることになったというのが真実なのだとか。秀吉もまた、たまたまの成り行きで天下人になったというわけです。

長くなるので家康については書きません。ただ、最終的には豊臣政権を簒奪することとなった家康も、最初から計画的だったというよりは極めて行き当たりばったりの側面が多いわけです。やはり偉人は、ビジョンと一貫性に優れているなどというのは私は信じません。むしろ言えるとすれば、偉人というのは極めて要領が悪く、律儀で、わざわざ貧乏くじを引きに行くというくそ真面目であるという共通性があるような気がします。その結果、いつのまにか本人が考えてもいなかった大きな話に引きずり込まれていった。そんなところが真実なのではないでしょうか。

 

代表取締役 CEO 奥野 政樹

 

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