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ツイッター

2014年02月01日

ツイッターをやっています。もう2年くらいになるでしょうか。元々は、社内で若手社員からマーケティング施策として提案があって始めたものです。正直、私はこういうソーシャル・メディアには興味がありません。ことさらに幅広く「つながり」たいとも思わないですし、非日常ならまだしも、他人の日常に関心はありません。知り合いが何をいつ食べて、それが美味かったかどうかは、私にとっては銀河の果ての話くらい遠く感じるということです。いや、銀河の果ての話ならむしろ神秘的かもしれませんが、アクション映画の中に無理矢理挿入されているラブ・ロマンスと同じくらい「小さな幸せの強制」が感じられて、感情の持って行き場がないというのがより正確な表現かもしれません。


それでも仕事ですから、平日には最低一つを自らに義務として課しています。休日になると、今日はつぶやかなくてもいいと思うとホッとします。材料探しは結構大変で、一日中悩まされて夜帰宅前にやっと、回らない脳から絞り出すようにしてツイートすることの連続です。自分に負けて「小さな幸せの共有」になってしまうこともままありますが、なるべくそうならないよう、ひねりを利かせた人生観的なものを目指してはいます。よほどのネタギレでない限り、会社の商品宣伝という安易なことはしていないつもりです。それでも成果の方ははかばかしくありません。
 フォロワーの数は増えないですし、コメントもお気に入り登録もされません。社外からの反響のなさもさることながら、社内でも読んでいる人はいないようで、完全に忘れられた業務となっており、私の日々の努力はまったく評価されていないようです。先日ラジオでピストン西沢が、「有名人でもないのにツイッターで人生観をつぶやいている奴」というのを笑いものにしていましたが、それでかえって励まされたくらい、誰もが私のツイッターに無関心です。


なぜこのような泣き言を書いているかといいますと、もうツイッターをやめようと思うから、ではなく実は、以下のツィートに久々に反響があったからです。
 「人間力が大事なのは全会一致。問題は人間力の定義がみんな違うということ。人間力=挨拶力みたいなちょっとありえないことも意外に多数派。私は、人間力=愛する力、かな。なんか、love & peaceみたいになっちゃったけど。」
 この「人間力=愛する力」を好きと言ってくれる人がいまして、この我ながら少々恥ずかしくなるようなつぶやきがウケるとは、やや考えを改めるところがあり、こうしてペンを執っております。


相変わらず今日のつぶやきどうしようかと思っていたところに、どこかの研修会社から人間力向上セミナーみたいなものの案内が届きました。ただその中身が、挨拶の大切さ、コミュニケーション力、論理的思考力のようなことだったので、それが人間力?と疑問を持ったところから始まりました。疑問を持ったものの人間力って何だっけ?と考えていて、まあ要は魅力がある、愛される、だから許される人間ではないのかと思いあたったわけです。人間力があると何が便利って、もっともらしいリーダーシップ論がすべて不要になるということでしょう。人間力のある人のために働くことはそれ自体が無条件に喜びとなるからです。
 こういう人間力のある人の代表といえば長嶋茂雄、矢沢永吉、北野武ですが、彼らの愛される力は、しっかりしているとか、頭がいいとか、仕事ができるとかいうこととは、明らかに違う要素から出てくるものではなかろうかと思います。


重ねた手

じゃあ何?ということですが、結局やっぱり愛されるということはただではないというか、それはこの人たちが逆に人を愛する力が物凄く強いことの裏返しなのではないかと思い至りました。ひとつの指標としては、本心から「君の好きにすれば」とは言えない相手が何人いるかということです。これは、いわゆる”Love & Peace!”と叫んでみる言霊主義とは違い、理屈抜きの「好き」という気持ちだけにすべてをかけて、何の躊躇もなく突き進んでこられると、やっぱり理屈なしに愛し返さずにはいられないという相互作用です。
 そうか!これで私のツイッターが冴えない理由がわかりました。私はこのツイッターというメディアをまったく愛していません。仕事だから仕方なくやっているだけです。ツイッターから愛されたいなら、ツイッターをもっと愛さなければいけないわけですね。でも今流に言うと、「無っ理~!生理的に受け付けません。」…


代表執行役CEO  奥野 政樹

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