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変な日本人

2014年06月01日

私の場合、アメリカ人にはよく「ユニークだ。」と言われます。これは褒め言葉なのだそう です。私もそれをそのまま真に受け、素直に喜ぶことにしています。一方、日本人にはよく 「変だ。」と言われます。ただ、「嫌な変さではない。」という但し書きが付くことも多いです。 若い頃はそれじゃまずいのかなとも思いましたが、経験を積むうちに、別に問題になるわけでもなさそうだと気が付き、今は特に気に留めません。

 それにしても、何が変なのかは少しずつ分析してきました。私は井沢元彦さんの著作が好きで「逆説の日本史」シリーズをよく読みます。そこに繰り返し、日本人の特質として怨 霊信仰、怨霊を発生させないための「和」の尊重、そして言霊信仰、更に江戸時代以降で比較的新しいものとして儒教、特に朱子学への傾倒が挙げられています。こういうことを聞くと、「え、何それ?意味わかんない。」という人も多いですが、私が見るところ、そういう人こそ無意識なまでにどっぷり日本人であり、自分がまさしくこういう特質を体現していることに気が付いていないことが多いように思えます。


さて、では自分はどうかということですが、まず日本人として「変」なのは、どうにも儒教の傾倒度が極めて低いのではないかということです。儒教精神というのは、わかりやすく言うと体育会体質、つまり目上への絶対服従、更に親へは絶対の献身です。これが、私にはどうしても反対が正しいと思えてしまう。目上は力が上なんだから、目下は目上にいくら甘えても構わない。まして親というのは子供のためにある存在なのだから、子供はいくら我儘をしてもよい。むしろ目上こそ目下のために実力をフルに発揮すべきであり、親は子供のために命を懸けるべきである。やっぱり、私的にはどうしてもこっちなのです。そうすると「変な日本人」にカテゴライズされがちですが、でも先輩や親にいくら甘えても、やっぱり特に嫌われることもないですし、むしろ課題は解決しやすくなるというのが私のひとつの結論になっています。その昔映画で、”Sempai, Apple pie, I don’t care.”とウエズリー・スナイプスもショーン・コネリーに言っていました。


次に言霊信仰です。口に出したことは現実化するという信仰ですね。実はこの信仰は私にもあります。だから悪いことはあまり口にしたくない。理屈ではなく気持ち悪いわけです。数字の4や9のような悪い語呂もかなり気になる方で、ランニングのタイムが49だったりしたら、どんなにきつくても基本走り直します。「幸せ来る」といくら心の中で繰り返しても、究極の納得感は得られません。しかし、仕事では意識してこの信仰は封じ込めるようにしています。なぜなら、そうしないとリスクの話ができなくなるからです。私があまりにリスクをあげつらうと混乱をきたす日本人は少なからずおり、対策の話がまったくできなくなってしまうということがあります。そういう人は、やはり私を「変だ」と思うようです。でも仕事ですから仕方がありません。

 そして最後に、「怨霊信仰」と「和」です。怒り、悲しみ、恨み、そうしたマイナスの感情は、怨霊化して世の中に甚大なる禍をもたらす恐れがある。だからそういうマイナスの感情が発生しないように、集団というのは常に調和を保たなければいけない。何が正しいのかよりも皆が納得することこそが大事。突出は許されないし、議論などもっての他であるという発想です。


自分の中を一生懸命探すのですが、「怨霊信仰」についてはなんとなく引っかかるものはあるものの、明確には見つけ出すことができていません。ただ「和」については、これはもう確実にあります。それに、これは言霊信仰のようにまったく合理性を欠いているわけではなく、相当程度の合理性はあるのではないかと思います。和が崩れると怨霊が発生するかはともかくとして、皆の納得感に支えられた組織の方が、不満を力で支配する組織よりも、何をやるにも基本的には効率的である。私はそう思います。アメリカ人は議論が好きで、いつでもどちらが正しいか議論していますし、そこで発言しない者は、無関心、やる気がないと見做されます。まあ私も米国とのビジネスに携わって永いですから、方便としてこういう議論にも負けないように頑張りますが、正直どっちが正しいかなんて、そんなの本質じゃないんじゃないですか、という気持ちはいつも持っています。それが、アメリカ人から見ると「ユニーク」に見えるのではないかと思うのです。 


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和は、急激な変革において、勝ち組と負け組の差別化を緩和し、不平等感を払拭して全体を一つにまとめることで、変革自体を効率的かつ持続的に推進するという点で、最大の効果を発揮します。明治維新、戦後復興の奇跡を支えたのはまさしくこの和の精神です。しかし、現在のようにできあがって固まってしまっている時代にあまりにも和に固執すると、お互いに気を遣い合い、オドオド、ウジウジしているだけで何もできなくなってしまいます。そうならないように、和は大幅に修正していかなければなりません。だから私は当社の社員に、自分のせいにするな、他人に迷惑をかけることを恐れるな、協調性はどうでもいいから協働性を発揮しろ、ということを唱えるこことなります。そうすると、これはもう圧倒的に「変な日本人」であるということにされます。ただ、私が変である源泉は、結局そのように「変」であることの意味を、一生懸命、真面目に追求しているということに端を発しているのかもしれません。


代表執行役CEO  奥野 政樹

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