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夏の夜のオカルト映画

2014年09月01日

暑い日が続いておりまして、WOWWOWなどでオカルト映画特集をやっていると、涼を得ようとついつい見てしまいます。しかし、最近どれを見てもさっぱり怖いと思えなくなってしまい、あまり効果がありません。技術が進歩して映像のつくりとか効果音とか、恐怖心をあおるように微に入り細に入り綿密に計算されているのはわかりますが、どうしてもそれらがどこか空々しく感じられ、白けてしまうのです。これは映像や音といった技術的な問題ではなく、どうも、私が人生経験を重ねる中で、オカルト映画の持つ本質を怖いと思わなくなってしまったというところに原因があるように思われます。


オカルト映画の本質、特に日本のものは、怨霊による祟りが源泉になっているものが圧倒的に多数です。不幸な死に方をしたものが現世に未練を残し、何らかの形で舞い戻ってきて恨みを晴らそうとするわけです。しかし、私は日々仕事をしていく中で、この発想が非生産的で、成果を生み出さず、結局はまわりまわって自分を苦しめることになるという事例に嫌というほど触れています。私の仕事の8割は、自分についても社員についても、こうして自己の殻に閉じこもって成長しようと前進することをせず、周囲を自分のレベルに引き下ろして安心を得ようとするネガティブ思考を戒めることであると言っても過言ではありません。だから我々は行動規範として、「他人のせいにしない。自分のせいにもしない。誰のせいか考えている暇があったら、今、やるべきことをやる。」ということを掲げています。


それなのに山村貞子君をはじめとするオカルト映画の主人公達は、過去にいつまでもこだわり、一向に付加価値をもたらさず、未来志向の行動をしようとしない。不幸を全部一身に背負ったようないでたちで悲哀を演出し、一見何か深い考えがあるかのような物憂げな立ち居振る舞いで、一種の正当性と正義感を醸し出してはいますが、その実態は、単に自分の不満を晴らすためだけの、極めて自己中心的な破壊と混乱誘発です。

 私は、もうどうしても、こういうのは怖いと思えないわけです。なぜなら、こんな輩に負けるわけがないからです。これは典型的な弱者の発想であり、負けるための鉄板思考回路です。そもそも山村君は、ビデオだのなんだのとまわりくどい手段を好みますが、行動が遅すぎます。肉体的にもヨタヨタしていてスピード感がない。そういうことだから、いつのまにか頼みのビデオが技術革新で世の中から消えてしまい、また後ろ向きの悩みが増えることになるのです。


少々職業病かもしれませんが、こういう映画を見ていると、怖いというよりもついつい、次のフィードバック面談で山村君にどういうメッセージを送ろうか、どういう仕事を誰とどういう風にやらせたら、このNGな発想を変えることができるのだろうかと考えてしまいます。結局、死後にも魂は残り、現世に対して有形力を行使できるのですから、それはもっとポジティブに付加価値を生み出す形で使うことを学ばせなければいけません。そういう意味では、以前珍しく山村君が、プロ野球の始球式という外連味のない舞台で自らをオープンにさらけ出すのを見たときは、改善の可能性をやや感じました。退場時はエネルギー切れで担架に乗せられていましたが。


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ところで山村君は、ハリウッドではサマラ・モーガンというアメリカ人に擬せられて映画化されています。ただ、このミズ・モーガンですが、山村君と同じく自己中心的ではあるものの、どうもテイストが相当に違います。まず、山村君は何のために破壊、混乱誘発を行っているのかが明確ではないところがありますが、モーガンの場合、要は生き返りたいという目的意識が単純かつ明確です。そのためにとる手段も、ビデオを使うところは一緒ですが、最大効果が出るように、山村君よりも出し惜しみすることなくめったやたらに使用します。また身体能力が高く、動きはスピーディーで力もあり、やや乱暴ですが考えているよりも身体が先に動きます。動きながら、状況に合わせて行動を修正していくという柔軟性も持ち合わせている。悲しげな山村君と違い、眼に闘争心が表れています。早い話が、モーガンは山村君よりも大分有能です。こうなると、この「敵」をどうやって打ち倒すかという闘争心がこちらにも湧いてくることになるわけですが、相手も闘う姿勢を崩していませんから、それなりの怖さは感じます。

 これが、日本の怨霊と米国の悪魔の違いでしょう。怨霊に比べると悪魔は有能です。怨霊は「けしからん」ですが、悪魔は「倒さねばならん」のです。ただ、映画として見た時にどちらが面白いかということになると、ただ単純に勝ち負けだけの世界である悪魔映画より、物悲しげな情緒が深く描かれている怨霊映画かなあと思ってしまいます。やっぱり日本人なんですね。  


代表執行役CEO  奥野 政樹

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