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私がピアノを弾く意味

2015年03月02日

標題について考えますに、「無い」というのが結論であると思っていました。もともとは、娘がピアノを習い始めた時にどうにも馴染めなかったので、「お父さんも一緒にやれば少しは落ち着くかな」というのが、私がピアノを習い始めた大きな動機の一つです。特別ピアノというものに思い入れがあったわけではありません。やってみて思い知らされましたが、つくづく向いていません。指は思うように動かないし、先生が口を酸っぱくして言っているリズムとかピッチというのが、さっぱりわかりません。先生は「ひどい」とよく言いますが、どうも私としてはそう思えなかったりしてしまいます。先生としては、「ひどい」ことを証明しようとしてメトロノームを作動させたりもしますが、これが、私にはカチカチという音がただうるさいだけで、何の示唆も与えてくれません。いつの間にか娘の方がずっと上手くなっていますし、一体どこを目指してやっているのかなどと考えてしまうこともままあります。それでも、お客様の中には「3月のニュースレターのお題はピアノ発表会ですよね?」と期待されている方も結構いらっしゃいまして、やめるにやめられないという側面も少々あります。


毎年、東京マラソンと時を同じくして行われる「大人のためのピアノ発表会」出演も、今年で6回目です。過去、壇上で音符が全部頭から飛んで音楽にならなかったことが2回、残りの3回も、何とかメロディーらしきものは判別できる状態だったものの、およそ人様に発表するような代物ではありませんでした。0勝2敗3分けという感じです。ここらで1勝したいものだと思いますが、勝筋はまったく見えません。
 今年私が選んだ演目は、浜田省吾の「もうひとつの土曜日」。私が若い頃には、いわゆる女性好みする曲の代表で、カラオケで上手く歌う男がいると、周りの女性陣にちょっと見直されるという、そういう曲でした。思い通りにならない「彼」への想いに引きずられながら毎日切ない日々を過ごす「君」を、複雑な思いを抱えつつ、そっと陰で見守ってきた内気な「俺」。その「俺」が最後に、「いつもそばにいて手を貸してあげよう」と気持ちを打ち明け指輪を差し出すという曲です。
 この曲に対する女性の圧倒的支持の理由を、男性は往々にして、この最後の「指輪」パートにあると思いがちで、私も若い頃はそう思っていました。しかし、齢を重ね経験を踏む中で、ちょっと違う気がしてきました。この部分、男による上から目線とナルシシズムが丸出しで、女性から見るとむしろ「イタい」のではないかという気がしてきたのです。少し女性達に聞き取り調査もしてみましたが、やはりこの曲は、最初の「君」の気持ちに寄り添う歌詞には持っていかれるが、結末があまりにも「俺」主体になっていて「引く」という意見が少なからず出てきます。
 中々に謎めいている不思議な曲ですが、実はピアノの先生が最近結婚されたので状況的にちょっといいかなというのもあって、先生はどう反応するかな、という興味もこめて選曲したのです。残念ながら、というか案の定、先生はこの曲を知りませんでした。ただ意外だったのは、ポピュラー・ソングというものを驚くほど知らない先生が、浜田省吾は知っているということでした。しかも楽譜をちょっと目でなめると、「ああ、いい曲ですね。」とのことで、あれ、もしかしたら、この曲が女性ウケするのは詞がいいからではなくメロディーがいいからなのかな、ふとそんなことを思いました。


練習が始まると先生の見切りは例年以上に早く、「ここは無理ですね」と、大サビはすべてあっという間にカットされました。それだけならまだしも、最後の「指輪を渡す」クライマックスもカットとなってしまったのはかなり違和感がありました。ピアノを人前で弾くというのは、私なりに、一応自己顕示的要素もあり、この最後の男のナルシシズム部分は、私としては弾いていて一番気持ちが高まる部分です。ところが先生、歌詞は見てないけれど、メロディーからやっぱり何か男の「イタい」ものを感じるのかもしれないなという思いがよぎり、いつになく抵抗せずに従うことにしました。
 練習を重ねるうちに、カットされた部分も含め、フルコーラス何とか弾けるようになりました。ただ今年は、カレンダー上2月の最終日曜日がいつもより1週間早くくるイメージで、気が付いたら本番まで残り1週間ということになっており、少々焦りました。また、長男の高校受験を発表会の2日後に控える中で、妻からは「あんた、この緊迫した一大事に、ホントにそんなどうでもいいもの出るの?どうせなら大失敗して、そこで悪い運を全部使ってきて!」と変な発破をかけられるお家事情。しかも、プログラムをもらって見ると、演奏順が26人中21番目と極めて遅い。このあたりになると上手い人ばかりになるし、自分の出番まで1時間は優に待たされることになります。緊張の中で待つというのは極めてキツイもので、「先生、なんで僕がここなんですか?もう少し早い順番でお願いしますよ。」と思わず弱音を吐いてしまいました。先生曰く、「年齢順かな?」とのことで、もう「・・・・・・・・・・・」としか反応のしようがありませんでした。


そして今年も、その日はやってきました。もう6回目だというのに、気持ちの落ち着け方はまったくわかりません。よく「自信を持って」とか「落ち着いて」とかいう励ましの言葉を口にする人がいますが、そんなことができるなら、最初から何の問題もないわけで、できない人間の気持ちというものが痛いほどよくわかる数時間の始まりです。
 会場へ向かう電車の中は暇ですから、どうしても自分が弾く指の動きを頭にイメージしてしまいます。練習では自然に指が動くようになっていたはずなのに、そのイメージはどうしても途中で途切れてしまう。やめておけばいいのに楽譜を見て確認、そして混乱。やってはいけないとわかっていても止められません。会場入りして受付を済ませ、第一演奏者の演奏が始まると、もうそれを聴いているだけで、自分の弾くメロディーがどこかに飛んで行ってしまうような感覚に襲われます。不安が募り、手には汗がにじんでいて、これでは滑ってしまって、鍵盤を押せないような気もします。また、かなり上手い人がたくさん出ているわけです。その人達と競おうとは思っていないので、それ自体は気にならないのですが、そうした上級者が、ベートーベンやモーツァルトの楽曲のフォルテシモパートを、思い切りペダルを踏み込んで音を反響させながら、壊れるんじゃないかと思うくらい鍵盤を強く叩くのが、私が言うのも恐縮ですが、どうも心地良さを感じないのです。「ペダルを踏みっぱなしにするな。」「鍵盤を力任せに叩くなよ。」「こっちは緊張してるんだから、もっと気を遣え。」と、本当に自分のことは棚に上げて、申し訳ないのはわかっているのですが、どうしてもそう感じてしまい、更にそれで自分の心が乱れます。


こうして、地獄の待機一時間余り、途中本当に吐き気を少々覚えましたが、何とか乗り切り、自分の順番がやってきました。ピアノの前に座ると、主旋律の最初の音が「ド」だとわかっているのに、どうしても「ミ」を押してみたくなります。もしかすると、妻の「大外ししてきて!」が深層心理で私をコントロールしているのかもしれません。誘惑に勝てず「ミ」を押してみました。左手の「ファ・ラ」とまったく調和しない、おかしな音です。「だよな」と自分で変な納得をして「ド」に切り替えて弾き始めましたが、やはり出足の躓きを引きずって前半はかなりおかしくなり、後半やや持ち直しはしたものの、全体としては5割の出来栄えという感じでした。
 何となく納得感のないまま、最後の音を鳴らしました。「アーア、今年も引き分けか。」という虚無感が襲ってきかけたところ、「あれっ」と思う反応を会場から感じました。弾き終った瞬間、「おー」という感嘆の声が確かに上がったのです。他の上手い人達の演奏に対しては無かった現象でした。考えてみると、アマチュアの発表会ですから、そもそも聴衆はみんな、上手い演奏を聴きに来ている人達ではありません。基本的には自分のことで頭がいっぱいの出演者と、その関係者です。おそらくは、他の人の演奏には興味がない、これが本音でしょう。また聴衆は圧倒的に女性が多い。その状況で、多分全体の中でも1、2を争う下手なおじさんが、たどたどしく弾いた「もうひとつの土曜日」。やはり、メロディー自体が女性受けするという要素が多分にあるのでしょう。そして、男の「イタい」部分を期せずしてカットしてしまったアレンジ。「あの曲をあのおじさんが弾くとこうなるんだ。」というオリジナル感が出たのではないかと思うのです。


私がピアノを弾く意味。それはやっぱり、下手でも自分のオリジナルであること、借り物ではない自分を表現すること、これなんじゃないかと、ちょっと偉そうなことを思ってしまいました。先生もなぜか例年になく上機嫌で、「最初どうなるかと思ったけど、後半持ち直したし、良かったです。」と嬉しそうでした。そして、今まで私が曲を選ぶということに果てしない不安感を見せていた先生が、「来年もまた自分の好きな曲を選んで練習しましょうね。」と言ってくれました。「私のピアノ」というものが、ようやく少し認められたということかもしれません。

S  piano

代表執行役CEO  奥野 政樹

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