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誠意の形

2015年08月02日

私は若い頃、少々アブナイ裏組織から債権を回収する仕事をしていたことがありまして、その時よく債務者から「誠意を見せろ」と言われたものです。要するに金銭的に有利な取り扱いをしろということだと思うのですが、直接そう言ってしまうと、恐喝という犯罪になりかねないので、こういう婉曲表現をするのだと思われます。先日ちょっとした出来事があって、そんなことを思い出しました。
 
 誠意と言うのは、国語辞典的には「私欲を離れて正直にまじめに物事に対する気持。まごころ。」だそうです。この「私欲を離れて」という部分が、純粋かつ完全な形ではそう簡単にあり得ない話ですから、「誠意」と言葉にしたその瞬間、既にもう胡散臭くなってしまうというのが通例です。それを更に言葉以外で形にして示すとなると、これはもう相当に難儀な訳ですが、それでも処世のテクニックとして、一応いくつかのパターンは身に付けておいた方がよさそうではあります。


以前、野球評論家の落合博満さんが面白いことを仰っていました。昔のことで、細かいところは私の記憶が定かでない点はご容赦願いたいのですが、落合さんが選手としての晩年、新しく入団してきた清原選手に追われるように巨人軍を退団した時のことです。その時、2つのチームから「うちに来てほしい」と声がかかりました。1つは日本ハムファイターズ、そしてもう1つがヤクルトスワローズです。
 
 日本ハムは落合選手に、確か年俸2億円の2年契約を提示したのだったと思います。一方ヤクルトは年俸1億円の1年契約。金銭的条件は、日本ハムの方がはるかに上です。しかしヤクルトは、カリスマ性たっぷりの野村克也監督が「わしと一緒に優勝しよう」と盛んに信条に訴えるコメントをメディアに発出していました。
 
 そのような状況下、テレビのニュース番組に落合選手が生出演してインタービューを受けていました。いくつかのありきたりのやり取りの後、したり顔のキャスターがさも核心でもついたかのように声高に「落合さん、お金の日本ハムと誠意のヤクルト、ズバリ、どっちですか?」と迫りました。その時の落合選手の返す刀に、私は胸のすく思いを感じました。「誠意があるのは日本ハムの方でしょ。」


そうです。ついつい「誠意」と言う言葉の持つまやかしに誤魔化されがちになってしまいますが、「私欲を離れている」ことを最も客観的に形として示しているのは実は、失えば痛みを伴う金銭的価値を相手のために手放すことなのです。
 
 これが、まず基本なのです。そこを勘違いしている若者、特に男子に多いように感じますが、よくとんでもない間違いを犯してしまう。好きな女子に「僕のまごころを受け取ってほしい」などと言って、自分が幼少期から大事にしているレアカードか何かをプレゼントしてしまう。中には、国語でまともな成績なんかとったこともないくせに、およそ何が言いたいのかわからないポエムを書いて渡してしまうような輩もいます。 これらはほぼ100%、悲惨な結果に終わります。理由は、誠意の基本をはずしているからに他なりません。これらのプレゼントには、いくら心がこもっていても金銭的な価値がまったくないから、誠意は相手に伝わらないのです。


そう考えてくると、アブナイ債務者が言う「誠意を示せ」もあながち的外れではないどころか、基本はしっかり踏まえていると言わざるを得ないのですが、世の中基本だけでは通用しません。応用もできないといけない訳です。
 
 まず、基本には例外というものがあります。例えば「手作り」というのがあります。彼女の手作りの服あるいは料理というものに、その品質とは関わりなく高い価値を置く男子というのは少なからず存在します。これは、その自ら制作するという作業にかかる労力を自分のためにかけてくれたということに、定量化はできないものの、感覚的には労働時間に時間単価を掛け合わせたくらいの自己犠牲を、相手から感じ取ることができるからでしょう。


正直、私はそういうことにはあまり心を動かされないタイプですが、これがもし、誰かが私にプレゼントをするために、最適なものを探して店をいくつも回って選んでくれたということになれば、話は違います。そこには、私という人間の趣向を限られた情報から推測するというリスク・テイク、そしてそれに合うものを選択するという高度な判断、更に、最適なものを選ぶために妥協せずに複数の店の間を移動するという労力が感じられるのです。つまりその人は、単なる単純労働ではなく、私のためにリスクをとり、判断をし、深いレベルで実行をしたという高いレベルのプロフェッショナリズムを発揮してくれたのです。こうなると、その結果が多少ずれたものであったとしても、私は結果責任だけを問うというタイプの人間ではありません。やはり、その結果へ向けての過程というものに誠意を強く感じます。


以上、どうも誠意というものには、各人感じ方に相当な差異があるようであり、タイプが合わないと永遠に通じ合えないということになってしまいます。何らかの状況下で、誰かに対して「誠意」を示さなければいけない状況に陥った場合は、まず相手がどのタイプの誠意を好むのかを第一に考え、それに合った示し方をするというのが成功への秘訣ではないでしょうか。

代表執行役CEO  奥野 政樹

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