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日本人と英語

2017年08月01日

先週、「英語」をテーマにした当社ビジネス・セミナーを開催いたしました。「英会話の黒船」を自認し、既存の英会話業界をぶち壊すと息巻くイギリス人青年実業家と、異文化コミュニケーションについて複数の大学で教鞭をとる翻訳家、そして私の3人でパネル・ディスカッションを行いましたが、議論が白熱して止まらなくなり、途中からは聴衆の方々も乱入して、さながらパネル・バトルロイヤルの様相を呈しました。日本ではなかなか見られない光景ですので、聴衆の皆様には存分にお楽しみいただいたのではないかと思います。

 論点は、「黒船」が唱えるところの既存の英会話業界における文法重視と、「英語ができない」という恐怖心をあおる金儲け主義に対する批判、そして、そのアンチテーゼとしての「英語文化教育主義」の是非を問うというものです。しかし私が思うに、大もとのところでこの認識は違っていて、文法や読解重視主義なのは学校教育であって、既存の英会話業界はむしろこの学校教育への反論として「コミュニケーション重視」を唱えているわけです。

 この大もとの認識がパネリスト間で共有されていないために議論が混乱したものの、イベントとしては大いに盛り上がり、大成功となりました。

最近、日本の英語教育について大きな改革が行われるというニュースが流れています。一つは2020年度から始まる今のセンター試験の後継となる大学入試共通テストで、民間の英検などの試験を採用するというもの。これにより、今まで大学入試では問われなかった“英語を話す力”が必要になってきます。そしてもう一つは、同じく2020年度から小学3年生から教科外で英語教育が始まり5年生には教科化、中学生になると文法も英語で授業が行われるようになるというものです。習熟するべき単語数も大幅に増えるそうで、これだけやれば、英語の会話力も含め学生の大学入学時の総合的英語力は、確かに今より向上するのではないかと思います。

 しかし、その後はどうなるのでしょうか。要するに大学に入った後も学生は英語の勉強を継続するのかということです。大方はしないだろうなと私は思います。異文化体験の重要さとか、今後はグローバル社会になっていくからとか、色々と概念的な英語の必要性は語られていますが、そのような曖昧な理由で、人間は努力できるものではありません。日本人が日本で生活するという極めて普通の営みを行う上で、英語の必要性がどの程度あるのかと言えば“殆どない”というのが現状です。

 それでも、就職のときにTOIECの点数が良い方が有利になりそうだとか、少し英語もできた方が海外旅行も楽しいだろうといった動機で街の英会話学校に通い出したり、場合によっては海外留学したりする人もいるでしょうが、続かないか挫折してしまう人も少なくないわけです。そういう英会話学校や海外留学の斡旋者は、“ちょっとネイティブと会話をするだけで”とか、中には“一日5分聞き流すだけで”突然英語が喋れるようになったなどという夢のようなことをよく喧伝しています。確かにごく少数ですが、子供の時の聞いているうちにいつの間にか喋れるようになる学習能力を大人になっても失っていない人はいるようで、そういう人達はこの方法でも突然ペラペラになるようです。しかし多くの日本人にとって、英語の習得とはそのように簡単な話ではありません。

英語と日本語というのは、発想が様々な意味で大きく違っています。よく言われるのは語順が違うということですが、それよりも英語が非常に論理的ですべてを明確に表現するための言語であるのに対して、日本語は感情や感覚をふんわりと表現するための言語であるという点があります。日本語と英語の間を行き来するには、英語の論理を司る規則、つまり文法を正しく把握すると同時に、日本語の感覚表現が論理的には何を意味しているのか分析する力が必要になります。Be動詞が「=(イコール)」を意味するということがわかっていなければ、「私は月曜日が都合がよいです。」を“ I am convenient on Mondays.” と訳してしまい「I=Convenient」つまり、「私は月曜日は都合がよい人間です。」という意味になってしまいます。

 日本人が英語を習得するにはやはり、英語に触れているうちにいつの間にかというわけにはなかなかいかないと思うのです。まずは地道に文法と単語を覚えないといけないですし、それが実際にどのように使われているか最初は聞いてもそう簡単にはわからないですから、まずはたくさん読まないといけない。そして次には書く。ここのところがキツイわけです。しかしここを乗り越えなければ、いきなりリスニングだスピーキングだと言っても普通は無理です。幕末に長州ファイブといって、伊藤俊輔(博文)と井上聞多(馨)を含む若手長州藩士5人が英国に留学したことがあります。最初はまったく英語ができなかったのが、連日昼夜を惜しんでファイナンシャル・タイムスを隅から隅まで辞書と首っ引きで読んでいるうちに、半年で英国人と政治談議をするにも不自由しない英語力を全員が身につけたのだそうです。

こういうことを考えると、これまでの日本の文法中心・読解中心の教育は基本的に正しいのだと私は思います。けれども、多くの日本人にとってこれは面白くない作業です。従って大学に入ってしまえばもうやる人はほとんどいません。つまりこれが、日本人が英語ができない理由だと私は思います。2020年には英語の早期教育と会話重視がスタートするわけですが、果たしてこれで英語がつまらないという問題は解決するのでしょうか。英語を勉強の対象として考えている限り、結局この問題は解決しないのではないかとも思えます。

 いっそのこと、英語を教科からはずしてしまい、スポーツやバンドや演劇みたいに好きな人だけが自由にやればよいというスタンスで臨んだ方が、英語ができる日本人が増えるのではないかという気もしてきました。これからは通訳AIも急速に進化するようですし、何もみんながみんな英語ができる必要はないといった方向性の方が現実的です。そうなると逆に英語が恋しくなって、日本人の英語のレベルは上がるのかもしれません。。


代表取締役CEO  奥野 政樹

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