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裏と表

2017年09月01日

自分の秘書に暴言の限りを尽くし、また有形の暴行にも及んだと思われる国会議員が隠し録りされた音源の中で、「物事には裏と表があるんだよー!」と絶叫している様子が盛んにメディアで流れています。どうやらこの発言の意味は、「高速道路には入口と出口がある」という希薄なもののようです。しかしこの議員が日頃自らの支持者に接するときに示してきた、さも謙虚と誠実に満ち溢れているかのような態度との対比があまりに鮮烈で、どうしても別の意味が連想されてしまいます。

 「私には裏と表がある。」…以前はこんなことを堂々と言う人はいませんでした。なぜならそれは、「自分はまったく信用ならない大悪人です。」とわざわざ喧伝していることと同義であると考えられていたからです。ところが最近は、相手の地位やその場の状況によって自分の裏と表を使い分けられることこそが賢明で良識のある処世術であるという価値観が、少なからず世の中に広がってきているようです。「人間誰でも裏と表があるものですよ。」などといったしたり顔のコメントも方々で耳にするようになりました。

もちろん、相手や状況によって言葉遣いや物腰を少し変えるというようなことは確かにした方がよい処世術でしょうし、人間誰しも他人に知られたくないちょっとした「悪さ」を陰でしていたりもするのかもしれません。しかしそれと、状況によって自分の裏と表を完璧に使い分けることとはまったくの別問題です。自分について支配力を持っている者に対しては徹頭徹尾下手に出てご機嫌をとる一方、自分に逆らえない立場の者に対しては徹底的に上から襲いかかっていく。こういうのは要領の良い処世術ではなく、ただの卑劣な弱い者いじめだと思うのですが、これをあたかも裏と表の使い分けという高等戦術であるかのように語る風潮が世の中にあるのは恐ろしいことです。

そもそもこのように「裏」と「表」を使い分ける人というのは、自分のどっちが表でどっちが裏なのかがわかっているのだろうかと、私には疑問に思えます。目先にあるわかりやすい利害関係や上下関係に応じて複数の対応パターンを極端に使い分けているものの、本当の自分は一体どういう人間なのかということは結局よくわかっていないのではないか。冒頭の議員にしても、盛んにその高学歴と頭でっかちなキャリアばかりがクローズアップされ、世間からは「自分ほど偉いものはないと思っているプライドの高い人間」と評されていますが、私には、実のところ自分の強みは何で反対に弱みはどこなのかがわかっていないために、学歴や職歴といった客観的でわかりやすい「持ち物」に必死にしがみついている、むしろプライドの欠如した人と感じられて仕方がありません。

 自分がどういう人間かわからないから、他人を自分と比較して主観的に見ることができない。従って持っている条件や身体的特徴などに照らすことで、客観的に他人を把握しようとする。そういうと一見公平無私な見方にも聞こえますが、残念ながら人間関係というのは本来が主観的なもので、客観的に分析すればするほど人と人との関係は形式化し深みのないものになっていきます。それを補うために、裏と表の使い分けという極めて戦術的で、更に客観的かつある意味わかりやすい方法論が好まれる傾向がある。けれども、やはり「自分が理解した自分」をベースにして他人を判断するという主観から逃げていては、相互補完的で有意義な人間関係というものは築き得ないのではないかと私は思います。

その点、歌手の松山千春さんが離陸できずに空港で足止めとなっている機内で一曲歌ったという出来事は、久々に胸のすくような爽快なニュースでした。つくづくこの人は、自分の歌が他人に受け入れられるということについて一点の曇りもなく、自信があるということがよくわかります。こういう状況で歌うという、目立つことを臆面もなくできる強い自己顕示。松山千春は裏も表もなく、ただ一つ「人の心を打つ歌手である」ということの証明だと思います。やはりこういう裏と表のない人に、私は魅力を感じるのです。

 

代表取締役CEO  奥野 政樹

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