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オリジナル

2017年10月01日

職業柄、色々な交流会に行きます。単純に交流会だけというものもありますが、多くの場合、どなたかの講演あるいは勉強会みたいなものが一緒についています。日本のものもあれば外国のものもあります。スピーカーは総じて「社長」「先生」「起業家」の類に分類される方々が多いのではないでしょうか。その中で、どうしても感じてしまうことがあります。それはズバリ一言、「日本人の話はつまらない。」ということです。もちろん例外はあります。特に著名なスポーツ選手などが普通ではできないような体験を語ってくれるのは、確かに大抵は面白いものです。しかし「社長」「先生」「起業家」はどうもいけない。欧米人と違って日本人は鍛えられていないので、プレゼン・スキルの問題というのもあるにはあるのでしょうが、どうも本質はそういうことではない気がします。要は、自分なりのものの見方、考え方、つまりオリジナリティーが決定的に欠如しているように思うのです。歴史的な偉人の言葉を引用したり、自らの体験や社歴を披露したり、はたまた一見過激に常識への抵抗を示したりとスタイルは様々ですが、どれもどこかで聞いたような話ばかりで、それであなたはどうなんですかというのが中々見えてこないわけです。どうしても話の中盤あたりから「名言ばっか聞き飽きたよ。うんざりだもう。」という STAY TUNE の歌詞が頭に浮かんできてしまいます。

ところで、私事ですが娘が中学生になり演劇部に入部しました。中高一貫の学校なので、高校生から中学生まで通しの部活となります。私が学生の頃は、(特に男子は)スポーツをやらない奴は人間的に問題があるという考え方がどことなくあり、演劇部などと言うとかなりマイナー感漂うものがありました。こう書くと、それはお前の偏見だろうと言われる方もいるかもしれませんが、事実、私は若い頃、「ねえ、奥野君って運動部の経験ないでしょう?」とよく聞かれたものです。「バレーボール部でしたよ。」と答えると、相手は「なのにどうして?」という納得のいかない反応を示したものです。今の学生の間ではそうした運動部信仰は殆どなくなっているように見えますが、演劇部なるものがどういうものなのか、友達でやっていた人もいませんし、私のような古い世代にはよくわからんというのが本当のところでした。

先日、文化祭でその演劇部の公演がありました。私は音楽は聴きますが芝居を観るという趣味はありませんし、最近は娘もすっかり父親離れをしてしまって「お父さんは来ないで欲しい」と言っていることもあり、行かなくてもいいかなとも思ったのですが、ちょうど時間が空いたので一応、まあ、ものは試しと観に行きました。とは言っても、まだ1年生の娘は照明係で舞台には登場しないので、運動部的に言うと補欠といった感じです。

 内容的には高校2年生の先輩女子が書き下ろしたSF学園ドラマ。昔で言えば「時をかける少女」みたいな感じかなと思いましたが、大分違いました。舞台は高校3年生のあるクラス。各人は各人の役割を忠実に守ることで、クラス内のバランスが微妙に保たれています。リーダーシップをとる者、夢を追いかける者、不真面目な者。その中に、目立たずとにかく何でも程ほどに全体方針に従うことを役割とする女子生徒がいます。その子が文化祭の出し物の準備で、ひょんなことから自分のあてがわれた役割以上の手伝いをすることとなり、そのことがきっかけで急速に主体性を増し、クラスに溶け込んでいきます。

 このまま、シャンシャンと美しき青春ドラマはハッピー・エンディングを迎えるのかと思ったところ、全然違いました。その女子生徒が主体性を増したことで、それまで保たれていたクラス内のバランスは大きく崩れて、各人が果たしてきた役割が全く機能しなくなりクラスは崩壊してしまいます。更にそれがクラスの各人に深い傷跡を残し、それぞれのその後の人生にも暗い影を落とすことになるのです。え、どうなるの?と思っていると、場面は過去にタイムスリップ。その女子生徒は、前回のごとく環境に流されながら主体性を増していくのではなく、今度は自らの勇気で、それまでの消極性を断ち切るように主体性を爆発させます。するとクラスの各人も自分達らしい人生を送る展開になり、そのうちの2人の結婚式でエンディングを迎えました。

観終わってしばらくして、この演劇が高校2年生女子のオリジナル脚本であるということが、改めて深い意味を持って私にのしかかってきました。この演劇の主張するところはあまりにも明確で、余韻も解釈の余地もありません。「環境に影響されて、流されるように生まれてきた主体性などというものは、その人間を不幸にするだけでなく、組織のバランスを失わせ、その組織を崩壊させ、その組織の全員を不幸に陥れる。一方、自分の勇気によって爆発させた主体性は、組織の人間そのものを変える。そしてそれが皆を幸福に導く。」こういうことです。間違いありません。

 こんな考え方やものの見方に私は初めて触れました。繰り返しになりますが、これは高校2年生女子が書いた脚本であり、それは彼女自身がこういう人生観を持っているということに他なりません。これが100%正しいのかはちょっとわかりません。でも確かにそういった一面が世の中にはあるようにも感じられ、相当の説得力を持って私の心に響きます。そして何よりもここには、「社長」「先生」「起業家」の話にはないオリジナリティーが溢れています。それがここまでストレートに出ると、もう面白いのを通り越して「勉強になりました。ありがとうございます。」という気持ちがこみ上げてきます。

考えてみれば、スポーツというのはコーチや監督が作る設計図の中でプレーヤーは駒になることが求められることが多く、オリジナリティーを発揮できる部分は限られています。その点、演劇部はプレーヤーたちの自主制作であり、すべてがオリジナルの塊のようなものです。演劇部恐るべし。こういう学生達がそう遠くない未来に社会に出て、日本により強いインパクトを与えるようになっていくのではないかと思うと、負けられないという気持ちが沸々と湧いてきたのでした。

 

代表取締役 奥野 政樹

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