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命より大事なアイデンティティー

2018年06月01日

米朝首脳会談をやめたとかやっぱりやるとかでかまびすしいこの頃ですが、世の中今ひとつ、この話に力が入らない。ついこの間まで日本の安全保障上の超重大課題、つまり我々の命に関わる問題として連日メディアは大騒ぎしていたわけですが、今はその命よりも更に重要な問題が目の前の懸案となっているため、こっちの方はどうも後回しになっている感があります。命より大事なその問題とは一体何なのか。それは我々日本人のアイデンティティーに関わる問題。つまり、人間というものは苦痛を伴う異常体験を乗り越えることによってのみ強くなり成長できるのだという誰の心にもある拭い去れない信仰です。

最近は「合理的」な人というのも増えてきて、こういう信仰は戦争中に軍部が意図的に作り出した過去の産物でしょうと切って捨てる人もいますが、決してそんなことはありません。この信仰は今も堂々と市民権を持って世の中を闊歩している。そして、誰もが自信を持って心の底からこの信仰は間違えていると言い切ることができないという屈託を抱えている。本当に発射されるとはなかなか実感できない北朝鮮からの核ミサイルよりも、この信仰の是非ははるかに身近な自分自身に関わる問題なのです。だからこそ、大学のアメリカンフットボールにおける反則行為が、米朝首脳会談の問題よりも遥かに優先して報道されることになる。

この反則行為は、刑法上の違法性を阻却される正当業務行為の範囲を超えており、傷害罪として罪に問われるべきものなのか、また問われるとしたら、それは監督なのかコーチなのか選手なのか。この点については、一応現段階では事実関係が未だ明確ではないということになっており、結論を出すには時期尚早なのでしょう。しかし如何に誰かが何とかごまかして時間切れ無勝負を狙おうとしても、それはもう無理なくらい世の中が注目していますので、いずれ事実関係は明らかになり、刑事罰的な結論は出るのだと思います。

それはそれとして、この事件の本質的な問題は別に存在しているように思います。もっと重要なことは、監督が「自分は選手を日頃から相当に追い込んでいる」と認めていることです。この「追い込む」とはどういう意味か。実はこちらはあまり議論されていないのでよくわからないのですが、いくつかの断片的な情報から想像するに、選手を常に非日常的な異常環境に置くことにより過度な精神的苦痛を与えることではないか。そしてその非日常的な環境の創出には、有形無形の暴力が用いられているのではないかと疑われます。

こうした精神的苦痛の供与によるプライドの破壊をベースとした組織マネイジメントは、確かに軍隊的です。また、本当にお互いの命を瞬時に懸けて闘う集団として必要な超統率性と機動性を維持しなければいけない組織の人たちにとっては、こうしたマネイジメントも必要なのかもしれません。けれども、旧日本帝国軍の幹部たちの多くは終戦と同時に腹を切って自決しています。それに比べると今回の監督やコーチは、問題が大事になる前は自己のマネイジメント手法を声高に喧伝していたのが、少々分が悪くなってくると目はうつろで歯切れも悪くなり、ただ逃げ回っているように見えてしまいます。組織のためにやっていたというのならもっと堂々と自己主張をすればよいと思うのですが、こういう態度を見るとやはり自分のカリスマ性を高めるため、つまり自己中心的な動機をベースとしたマネイジメントに思えます。軍隊というよりは、自己の便益を図るために地下鉄に猛毒ガスをまき散らすようなカルト集団に近いものを感じてしまいます。

それで結局、異常な精神的苦痛に追い込まれることにより人間は成長するというのは本当なのでしょうか。実は皮肉なことに、これが本当であるという実例が今回示されてしまっています。この反則行為をしてしまった選手ですが、事実彼は弱い人間でした。突然練習からはずされ、日本代表にも行かせてもらえない。理由はわからない。この不安に勝てなかった。そして遂には違法行為に及んでしまったわけです。ところがこの異常な精神的苦痛を経て、確かに彼は強くなりました。その異常な状況を潜り抜けたときにこそ、彼は自分を縛りつけていたものから解放され自分を取り戻したのでしょう。この状況を経て彼は強くなり、過ちの清算という人間としてとるべき行為を堂々ととった。これは多分、カルト集団の中で同じように縛りつけられていた者達の自我を呼び起こすことにも繋がっているのではないかと思います。もしこの事件が無かったら、彼は今後もずっと弱さを抱えて生きていくことになったのかもしれないと思うと、確かに精神的苦痛が人間を成長させるという側面もあるのでしょう。

 しかしながら、やはり軍隊以外でこのようなマネイジメントは不要だと私は思います。同じ頃、バスケットBリーグの決勝戦が大変な盛り上がりを見せているのをニュースで見ました。ついこの間までリーグが2つに分裂し、日本代表の国際大会出場さえ禁止。選手の利益やバスケット界の今後などどこ吹く風で、関係者が権力闘争と権益維持・保身に明け暮れて試合会場はどこも閑古鳥が鳴く始末。そんな地の底に落ちていた日本男子バスケットを、短期間でこの活況に導いた最大の功労者は、門外漢であるサッカーJリーグ初代チェアマンの川淵三郎さんです。私は以前、川渕さんにお話を伺ったことがあります。「日本のスポーツ界にはまだ、苦痛を与えないとダメなんだとか言って殴ったりしている指導者がたくさんいるが、とんでもない馬鹿な話だ。プレイヤー・ファースト。楽しくなきゃダメなんだよ、楽しくなきゃ。」川淵さんのこの言葉の方に、私は強いシンパシーを覚えるのです。

 

代表取締役 CEO  奥野 政樹

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